築120年(2017年現在)の寶榮座に久しぶりの活気が戻って来たのは、暑さ厳しい7月23日(土)のこと。この日は朝から協議会メンバーはソワソワしながら、本番の幕があがるのを待っていました。舞台では、ハラプロジェクトのみなさんが入念なリハーサルを行っていますし、客席の準備や受付の準備も進んでいます。これからたくさんのお客様がいらっしゃるという緊張感と、久しぶりのハラプロジェクト公演(今から約30年前に、寶榮座で上演をして頂いて以来)が始まるというドキドキで、みんな笑顔ながらちょっと落ち着かない雰囲気でした。
午後2時、空には黒い雲が近づいてくる気配がありましたが、いよいよ開演。演目はスーパーコミック歌舞伎『鳴神』と祝祭劇『姥捨』の二本立て。会場はたくさんのお客様でいっぱいになりました。小さなお子さんから、シニア世代の方まで、地元・地元以外、さまざまなお客様が来て下さって、これからの寶榮座の先行きを明るく照らすような活気でいっぱい。舞台上でも、にぎやかに幕が開きました。
『鳴神』は歌舞伎十八番として知られる人気演目をアレンジした作品。あらすじは、天皇が約束を守らなかったことに怒った鳴神上人が雨を司る龍神を滝つぼに閉じ込めてしまい雨が降らなくなること、その状況を朝廷は美しいお姫様による色仕掛けで上人に戒律を破らせ呪いを解くこと、騙されたと知った上人は烈火のごとく怒り狂う・・・というような流れ。ハラプロジェクトの『鳴神』では、現代の歌舞伎者を標ぼうするような和と洋を融合した衣装のお姫様(平野奈都美)が登場したり、ラストシーンでは上人(今藤敦雄)が寶榮座の舞台構造を活かした早変わり(いったん奈落に消えて煙幕とともに再登場)をしてガマの姿に変わるという大胆なシーンが盛り込まれていました。全体を通して歌舞伎のセリフ回しがテンポよく、軽妙なエロティシズムがスパイスに効いたあっという間の時間。
寶榮座のすぐ前には沢がありますが、沢の音を遠くに聞きながら拝見する『鳴神』は臨場感たっぷり。あいにく上演途中で雨が降り出しましたが、作品世界とリンクするような気もして興味深かったです(雨に濡れてしまったお客様、ごめんなさい)。
二本目はハラプロジェクトの真骨頂ともいえる祝祭劇『姥捨』。劇中、寶榮座の大きな特徴である“回り舞台”の転換には寶榮座協議会メンバーが黒子として参加ました。これは演出的には大きなチャレンジでしたが、結果的には作品と地元との一体感が融合する他にはない魅力あふれるシーンとなりました。『姥捨』は、ミュージシャン知久寿焼による主題歌「月がみてたよ」を挿入した独自な雰囲気を持つ作品ですが、年老いた老人を口減らしのために山奥深くに捨ててくるという棄老伝説に材をとった民話をアレンジしています。ババ(原智彦)と孫娘(藤井朋子)との無邪気な遊びは素朴で飾り気のなかったであろう昔の人のリアルな姿を現しているようにも思えましたし、息子(江渡英雄)とのやり取りの切なさは今も昔も変わらない親子の情を深く感じる名シーンだと思いました。…ただ、ハラプロジェクトはここでは終わらないのでした。山に捨てられたババは月夜の山中で“ムシ”と呼ばれる謎のキャラクターたち(アフリカなどに生息するガゼルに似たマスク+黒のタンクトップ・ショートパンツ・ロングブーツという姿)と出会います。ババはムシたちと楽しそうに、また遊びを始めるのですが、私はこのシーンに奇妙さではなく、人が夢見る力を持つ存在なのだということを改めて感じます。食料もなく、誰もいない月夜にたったひとりで死を待つ状況は人を狂わせてしまうには申し分ありません。このシーンはババが見ている“幻覚”だと思えます。恐怖や不安に押し潰されそうになりながらも、束の間ババは楽しい戯れの夢を見ている…食料難という厳しさに家族すら捨てるという仕組みを生み出す人間の恐ろしさと、それでも人は夢見ることが出来るのだという希望をこの作品から感じました。知久寿焼の独特な歌い方のためかも知れませんが、「…姥捨て~姥捨て~」という歌唱が私には「…over stay~」と聞こえてしまって、私たちがこの世に生き残るということの意味についても思わず考えさせられてしまいました。喜怒哀楽、いろんな感情を揺さぶられる作品だったと思います。
寶榮座はこれから、いろんな取り組みをしていきます。舞台を使った公演、公演のための滞在制作(最大1か月間無料で利用可能)など、いろんな方々とアイデアを膨らませながら形にしていきます。ご興味ある方はぜひ、ごいっしょ頂ければ。どうぞ、よろしくお願いいたします!
(文責:Art&Theatre→Literacy・農村舞台寶榮座協議会 亀田恵子)